徳川家を葬った小御所会議
この徳富蘇峰という人がですね、小御所会議でこう言っているんです。
「徳川家を作った元がですね、関ヶ原の戦いであるとすれば、徳川家を葬った関ヶ原みたいなものは、小御所会議である」
と書いてありますね。
ここで、徳川慶喜は、大政奉還した明治政府から、追っ払われたわけです。
それで慶喜の方は、大阪に行く。
それで、倒幕せよという風に、一気に動いてくるんですね。
あの辺のね、政治の動きというのはね、怖いんです。
ですからやはり、明治維新の4大偉人と言った時は、岩倉具視を入れないといけないですね。
大久保も入れないといけないですし、あとはもちろん、西郷隆盛を入れなきゃいけない。
そうすると、どうしても長州からも一人となると、木戸孝允という事で、この4人になるわけですな。
だから、岩倉の偉い所は、その時の一気に小御所会議を支配したその、なんていうか会議力、会議の時の力ですね。
それに、セコンドをしていたというか、明暗をつけてサポートしたのが大久保利通、取り巻いておったのは西郷隆盛というような事でですね。
そして、どうもグズグズいうやつがいたら、刺し殺してしまえって言ったのは、西郷らしいんですけどね。
て事を言ったかどうかは分かりませんけどね、会議にはそう伝わっちゃたわけです。
休憩時間に。
そうすると、みんな怖くなったという事もあった思うんですよ。
しかし、なんといっても立役者は岩倉具視です。
鳥羽伏見の戦い
そしてね、あのすぐに、幕府軍と官軍といいましょうか、官軍になりました長州と薩摩の連合軍とが、戦争をやるわけです。
鳥羽伏見の戦いが始まるんですね。
この時、幕府の方がざっと10倍くらいの人数がいるんですよね。
その時ね、幕府の方は、簡単に負けた理由、負けた理由を探すのは一つ非常に大きいのはね、そのさっき申し上げました、太平記なんですよ。
敵も味方もね、江戸時代の人は太平記の話をしているわけですね、講談で。
それで、これもまぁ、岩倉の知恵だと言われるんですけどね、京都の反物屋からですね、一番ピカピカする反物を取り出して、
「錦の御旗だ」
といってですね。
錦の御旗なんて、誰も見た事が無いわけですよ。
太平記に出てくるだけの話でね。
それだって、本当かどうかも分からないですよ。
「錦の御旗だ」
っつってね。
そうするとね、錦の御旗が出たっていうだけで、みんな太平記の知識があるからね、がっくりくるわけですよ、もう徳川勢は。
それでもまぁ、殿様への忠義と言う精神もありますし、戦うわけですが…
続きはこちら⇒【渡部昇一の日本の歴史】真実の日清戦争!教科書で学べない日本の歴史!