日露戦争開戦の現実
日本の首脳はですね、戦争に勝つか負けるか、非常に難しいと、そういう情勢であったと。
なんたって、ロシア陸軍というのは、世界最強の陸軍ですからね。
海軍はまぁ、五分五分という感じだったんですよね。
外から見れば、日本が負けると思っていましたけれども、日本からみれば、なんとか勝機もあるかな、というそんな感じだったんですね。
この時に、戦争の準備をするとして、まず第一に、長い間戦争していると、日本が負けてしまいますから、短い間で講和しなければならない。
それで、金子堅太郎がですね、伊藤博文に言われて、とにかく戦争が始まったらすぐ、
「休戦の斡旋をしてくれ」
と、アメリカに言ってきてくれ。
という風に頼むわけですね。
まぁ大体、アメリカとロシアといのは、昔からかなり親しかったので、日本をよくしてくれるという事は、あり得なかったんですけど、でもそれをやらなければならない。
長い間戦ったら、ロシアに絶対負けると言う風に思ったわけですね。
実は偶然に、ロシアの共産革命というのがレーニンによって行わちゃうんですけど、戦争前にそんな事は分かりませんからね。
高橋是清の覚悟
それから、後の首相の高橋是清はですね、日本の金が足りないわけですから、日本の外債を発行しに、アメリカ、ヨーロッパに旅立つわけです。
しかしですね、日本は必ず負けると思われていましたから、負ける日本の国債を買う人なんていないんじゃないかと、だけれども国債を売らなければならないという事で、高橋是清は行くんですね。
これが、成功するんですよ。
陸軍、海軍、首脳陣、外交、財政のどれもこれも綱渡り。
どっか一個をやられたら、日本は植民地という、そういう情勢だったわけですね。
待っても植民地、負けても植民地ですから、日本はこの2000年の歴史の中で、最大の危機に見舞われたわけですね。
これが日露戦争だったわけです。
日露戦争勝利の奇跡
ところが始まってみますと、乃木将軍が頑張っちゃって、203高地で突撃に次ぐ突撃、多大の日本人の犠牲者を出して、奪還して、陸戦を優位に導きます。
一方、東郷平八郎司令官の海軍の方は、日本海海戦でもの凄い勝ち方をして、そして、ようやく日本は植民地を免れたわけですね。
この戦いが、アジアやアフリカの諸国に、もの凄い勇気を与えたわけです。
というのも、有色人種で、はじめて白人に勝ったわけですからね。
有色人種が白人に勝つという事は、当時では考えられない事だったわけですよ。
全部全敗。100%負けている状態でしたから。
トルコが親日派になった理由
これで、トルコとかそういう国はですね、ロシアの侵略にもの凄く苦しんでいましたから、親日派になるわけですね。
もちろん、日本人自身も恩恵を受けています。
アジア人、アフリカ人は、みんな恩恵を受けています。
それは、中国人も韓国人も同様ですね。
これを、侵略戦争と呼ぶ人がいるんですよ。
なぜそんな理由の人がいるのかというと、その理由の一つが、
「教えない」
という事なんですね。
これは、日本でも教えていないくらいですから、韓国ももちろん教えていないんですよ。
ロシアが来た時、韓国は国として戦わなかったんですね。
まぁ、
「どうぞ」
「植民地でも結構ですよ」
という感じ。
日本人が真実の歴史を知らない理由
反日日本人も、日露戦争の歴史を日本の学校で教える事に反対していますので、これを読んでいるあなたも、日露戦争を事をよく知らないと思うんですね。
明治天皇を始め、本当に日本人全員が、日露戦争をやったら日本は滅亡するのではないかと、考えていた事や、ロシアがどのようにして日本に迫ろうとしていなのかだとか、
植民地になったら、女性はすぐに犯されてしまい、優秀な男性は、両手首を落とされれるといった事であるとか、こんな事は、学校では教わっていないと思うんですよね。
日本人のかなりの人たち、7割くらいの人たちは、日本が正義であったという事を知りたくないんですよ。
日本人なのに、なんで嫌なのか不思議なのですが、日本は正しかったんだと、正しく戦って、正しく防いだのだと。
ですが、強盗が来るのを防いだことはよくないという人が多くいるのです。