日露戦争開戦
いよいよ、日露戦争が始まろうとするわけですね。
鎮海湾というのは、日本のもう目と鼻の先ですから、ここに軍港を作られますと、日本は間違いなく植民地になると、こういう感じになるので。
玄関先で、ドアを叩いている強盗と、決死の覚悟で戦うという状態になったわけですね。
この時に、日本の指導者というのはどういう気持ちだったのかという事を、何人かの指導者の言葉を借りて、理解してみたいと思います。
まずは、明治天皇ですね。
明治天皇は、まぁ何とか出来るんじゃないかとおっしゃられていたのですが、最後には、しょうがない、戦争するしかないと認めるわけですから、まぁ最高責任者ですから。
彼はこう言っていますね。
「朕は開戦を望まぬ。が、もはやいかんともしがたい。しかし、もし敗北した場合、どのようにして祖先に詫び、国民に説明したらよいのか」
という言葉を残しますね。
開戦は望まない、しかし、玄関を叩いてもう入って来るんだ。
これはもう戦わなければ、いかんともしがたいだろう。
だけれども、負けたら日本は植民地となり、国は滅びてしまう。
どうしたら、今まで2000年続いた、この日本国というものの祖先に詫びて、国民に説明したらいいのか、とまぁこうお悩みになるわけですね。
まぁ、そうでしょうね。
一方、伊藤博文ですね、有名な。
この伊藤博文も戦争が決まってから、必死になって、金子堅太郎にアメリカに行くことを勧めたり、なんとか負けないように頑張る人なんですけど、彼はこう言っています。
「もし、陸軍、海軍が全滅し、ロシアが九州・山陰に上陸してくる事になれば、この伊藤、生命、財産、地位、名誉をすべてを投げうって、一兵卒として、鉄砲を担いで戦う覚悟である」
と、こう言っています。
ある程度順調な時は、自分は首相なりそういう立場で指揮するけれども、もう陸軍、海軍が全滅したら、ロシアは必ず上陸してきますから、こうなったらもう戦うしかないと。
鉄砲を担いで戦うしかないと、こういう情勢だったわけですね。
一方、井上馨は元老でしたけれども、開戦の前にこう語っていますね。
高橋是清が、当時、日銀副総裁だったわけですが、外債募集に行くんですね。
この時に彼は、
「万が一、高橋是清の外債募集がうまくいかなかったら」
と言って、泣いてしまういう事がありました。